太陽に背を向けて

関西Jr.がまるっと好きです

ジャニオタと友達について考えてみた

ここまでのあらすじ

 

昨日の更新で、随分とたくさんの下書きを抱えていることに気がついた、えでん。

その溜まった下書きを少しでも本記事にしようと、奮闘するのであったーーーー

 

 

 

 

みなさんこんばんは、えでんです!

今日で2017年の8月も終わりですね…!(衝撃)

これで今月も先月になってしまうということで、今日は8/25から書きかけだった文面を残していきたいと思います。

 (もっと古い日付の下書きもあるw)

 

 

 

早速ですが!

関ジャニ∞、関西デビュー日おめでとうございました!!!!(8/25)

 

 

とはいえ実は私、デビュー後5年…は言い過ぎかもしれないけど、それくらいの間の彼らへの思い入れってないんですよね〜。

ちょうどいろいろあった(という)激動の時期。

知らないんです。 

 

というのも非常に子供じみた理由なのでございますが、、、

 

 

 

関ジャニ∞がデビューした頃。

当時の同級生に、関ジャニ∞のことが大好きな子がいました。

同じクラスになったことは一度もなくて。

学区が同じだったからか認識はしていた、という程度。

でもこれが、我が強くて騒がしい、言うなればジャイアンみたいな子で、私は苦手でした。

〝苦手〟と言うと少し体がいいが、正直に言おう、〝嫌い〟だった(笑)

話せばいいところもあったように記憶しているけど、ソリが合わないような雰囲気を子どもながらに感じていたのである。

そんな子が好きだという関ジャニ∞、それだけでエイトを嫌う立派な理由になっていたのであるーーーー

 

つづく

 

(※続きません)

 

 

 

いやぁ、今思うとひどく荒い思考(笑)

その後、進路が分かれてその子とは顔を合わせなくなったわけだが、私はだんだん関ジャニ∞にはまり込んでいくことになる。

 

 

そもそも私のジャニーズ遍歴は、Ya-Ya-yahに遡る。

これは語らせたらなかなかやばい。

て言うかやばい、年がバレる(笑)

今回は割愛(笑)

幼少期に8時だJを見ていた記憶もある。

家族にジャニオタ、いないのに(笑)

今8J見ると、デビュー組がわんさかいるから、なんとなく見てたのをもったいなく思う。

 

今思うとヤーはかなり好きでいたと思うんだけど、沼にハマらなかったのは、共感してくれる人が身近にいなかったから。

 

その後私は、いろいろあって、嵐沼にハマりながら関ジャニ∞沼にハマり、嵐沼からは抜けたけどエイト沼から抜け出せなくなった。

そして今、関ジュ沼にもどっぷりである。

 

ここでいきなり沼という言葉を使ったのであるが、ここからは共に沼にハマりゆく友人の存在があるのである。

 

 

先ほども少し書いたが、私は身内にジャニオタを持っていない。

よく、お母さんが好きで〜とか、お姉ちゃんが好きで〜とか、ありますよね。

羨ましいやつね。

我が家にはそれがないので、何かにのめり込むには自分発か、周りの友人発。

 

というわけで、嵐にしろ関ジャニ∞にしろ関ジュにしろ、友人の力を借りながらも自力でのめり込んで行ったわけである。

 

好きを共感してくれる人の存在は大きい。

 

自担とは、なんでもない日常に突如舞い降りた大天使のごとく稀有な存在である。

ゆえに

〇〇くんがかっこいい

〇〇くんがかわいい

(中略)

〇〇くん…語彙力足りない…

 

といった事態に陥っていくのがオタクになるまでの(なってからも)デフォルトだと認識しているし、私自身もそうだ(った)。

 

語彙力を失ったオタクには、共感を得たい、理解してもらいたい、という思いは、あるかないかで分けると、ないと思う。

しかし人は、他者から理解されたい、同意されたいと思うもので、それにより満足感が増すといわれる。

だからオタク生活においても、共感を得られた方が、自ら沼に飛び込んじゃうようなハッピーライフを送れるのだろうと思う。

 

ここで大切なのが、共感を得る相手が、自分が〇〇くんの沼にハマる過程を知ってくれていること、もしくは自分と同じような価値観を持つことであると考える。

 

例えば私が、☆☆の〇〇くんかわいい、と一言発しただけで、友人は大方の理解を示してくれ、それにより私の満足感は上がる。

自担はかわいい、と上書きされ続ける。

Twitterにおける同担のフォロワーさんなんかも、仲良くなるとわかるとだけリプを飛ばしてくれたりする。

Twitterでは、仲良くなる過程でも自担愛を語れるあたり、楽しいよねー。

 

 

 

そんなこんなで、私は今、過去にないほど関ジュの沼にハマっているが、何かを好きになるにも嫌いになるにも、周りの友人の存在って大きいよね、っていう、そんなお話でした。

 

(尻すぼみ)